第3章 表現のもつパワー
この章には何が書かれているか
心のもつパワーは過大評価されている
それ自身の独立的な力ではなく、その力を拡張させる手段を編み出せる力が本当はすごい
rashita.icon再帰的、と言えるだろうか。
ものがわれわれを賢くしてくれるというわけである
rashita.iconタイトルにつながる一文
ex.
共同で行われる社会的行動
環境にある利用可能な情報
心のパワーを保管し増強するために作り出した認知のアーティファクト(人工物)
私たちは記憶術を駆使する人をすごいと思うが、実際はそうしたスキルを高めなくても紙とペンで日常行動を問題なく過ごせている点にこそ注目すべきである
ソクラテスの危惧
彼は書き言葉を信用していなかったが、それは内省を気にしていたから
読書は体験的なものであって、読者を受動的にしてしまう、という懸念
しかし、中世の読者(ヨーロッパだろう)は違った
声に出し、人前で読み上げられた
補足説明と本文との関係を解きほぐしながら読む
そのために、記憶術、寓話、類型学に通じている必要があった
結果、著者が不在でも、読者同士が議論を行っていた
話者と受容者という構図が、受容者同士という構図に変化した
われわれは、あまりにも速く読み、著者の考えに疑問を抱くことも反論することもなくなった。
rashita.iconやや耳が痛い。
本は、読み手が、書かれている内容について系統立てて内省していく方法を知ってはじめて、内省のための道具となる
rashita.icon非常に重要な指摘。
ややもすればインテリズムに陥りかねないが、かといって何のスキルもなく本が一冊目の前にあればそれで十分な道具になる、と想定するのはさすがに甘いだろう。
認知のアーティファクト
認知のパワー
認知のパワーは抽象化と表現から生まれる。それは、知覚したり体験したり思考したりしたことから、関係のない些細な部分を捨象し、別のメディアに表現する能力のことである。これこそが知の本質なのである。つまり、表現とその処理が的確にできさえすれば、新しい体験や洞察、創造が可能になるからだ。 p.92-
アーティファクトは単純化する。それがコミュニケーションも助ける
表現が現実の出来事の代わりになる
捨象
表現によって
人間の出来事を記述する能力は劇的に増強
他者は前よりずっと理解できるようになる
実際に起きなかったことも吟味も簡単になる
人間の記憶にパワーと正確さを与える
rashita.icon捨象しているが、正確さがあがる、という点が面白い。
精緻ではなく、正確、という点がポイントなのだろう。
表現について
良い表現とは、出来事の本質を捉え、それ以外を意図的に省いている。
必要なのは、正しく抽象すること
表現のシステム
1. 表現されるものの世界→対象
2. 表現するものの世界→記号
表現のおかげで
出来事や事物を時間的空間的な制約から離れて扱える
実在しないものも扱える
他者と仕事を共有する場合には表現をサポートするための人工的な仕組みが必要になる
それがアーティファクト
認知のアーティファクトがサポートする表現は人工的なものであり、人間が行うタスクに最良のものにできるはず
人間はアイデアや概念や出来事をそのままの形で扱うのではなく、自分の思考プロセスに合致した形式の表現を使っている
メタ表現
アイデアや概念を表現したものをさらに表現する能力
これが内省などの高次の思考の本質
本書では「表現というののはどういうことなのか」を表現する図が掲載されている
表現されたものから関係・構造・法則を見出す能力が、人間の推論の中核
それが文学、芸術、数学、科学などの活動に不可欠
好ましい表現
表現されるものの世界から重要でない部分を省き、重要かつ本質的な特徴を捉えた表現
人間に適合し、解決のプロセスを強化してくれる表現
タスクの適合し、重要な規則性や規則を見出すことを助ける表現
アーティファクトの種類
体験のアーティファクト
内省のアーティファクト
表現に対する修正と働きかけの手段
現実の世界を無視させ表現の世界に集中させてくれる
内省のパワフルさ
p.101 内省のとき、人は新たな解釈を見つけたり別の案がないか吟味したりして、その体験の意味を深く考え、さらにはそれ以上の理解を求める。こうしたプロセスはパワフルだが、同時に危険でもある。そのパワーは、新たな発見をする能力から生まれる。危険が首をもたげるのは、表現を現実と取り違えてしまったときである。
アーティファクトの危険性
p.101 アーティファクトに表現された情報にだけ注意を払うと、表現されなかったあらゆるものが無視されることになる。現実には、表現されないのは、その表現方法がわからなかった場合がほとんどで、それが重要でなかったからという理由からではない。それどころか、表現されていないものの方が重要になることすらある。
rashita.iconここは整理が必要だろう。
良い表現とは、出来事の本質を捉え、それ以外を意図的に省いている。
表現されないのは、その表現方法がわからなかった場合がほとんどで、それが重要でなかったからという理由からではない
この二つは単純に考えると整合していないように思える。
ただし前者は知(あるいは認知)の話で、後者はアーティファクトの話だという違いがある。
それをどう整理するか
「本質」という言葉がこのやっかいさを引き起こしていると想像
表現をタスクに合わせる
同型問題(problem isomorphs)
本質的には同じことだが表現が異なっている問題
たとえば
空間的表現のチックタックトー
算術的表現の15ゲーム
表現によって、問題の本質は変わらないが、難易度は変化する
表現の適切さは、その問題に適用される知識やシステム、方法に左右される
OAGの例
タスクに合わせてビューが変更できたらとてもよい
情報の利用
必要な情報を見つける
しかるべき結論を計算して得る
ex.薬を飲む時間、数の表現(ローマ数字とアラビア数字)
自然さの原理
表現の特性と表現されるものの特性とが適合する場合に、体験的認知が支援される
知覚の原理
知覚的お空間的表現は自然である。それゆえ非知覚的非空間的な表現よりも優れるが、それは、表現と表現の対象とのマッピングが自然な──現実の知覚的空間的環境に類似した──場合に限られる
マッピングとは、表現の形式と表現される実際の事物との関係のこと
たとえば数字は自然なものではない
rashita.icon生得的なものでなく、学習して身につけるもの、くらいの意味。
284と912、284と312 二つの比較は前者の方が早いらしい
論理的には投下に思えるが、その処理には違いがある
まとめ
認知のアーティファクトがもつパワーは、表現が持つパワーに由来する。
適切な表現によって、タスクの難易度は変化する
それぞれの読書メモ
それぞれのレジュメ
雑談目的ページ